プロフィール
村本賢亮(むらもと けんすけ)
1987年、北海道旭川市生まれ。実家は90年続く「壺屋総本店」という老舗のお菓子メーカー。3年間ベルギーの修行を経て、地元北海道旭川市に帰省。修行中、ベルギー舞い降りた天使、フランス人のマリノ・デボラのハートを射止め、日本に連れ帰り結婚。妻であり、優秀なデザイナーでもあるマリノ・デボラと、北海道の最高の食材を使ったデザイナーズチョコレートブランド「RAMS CHOCOLATE(ラムズ チョコレート)」を立ち上げる。現在、RAMS CHOCOLATEを軸とし、「×(掛け算)」をテーマにするRAMS PROJECT(ラムズ プロジェクト)を立ち上げ奮闘中。
沿革
1987年10月 | 北海道旭川市で生まれる |
---|---|
2010年4月 | モテそうなのでIT会社へ就職 |
2014年6月 | 家業の先代である、じぃちゃんの死をきかっけに、お菓子職人になることを決意 |
2014年7月 | ありとあらゆるコネを使い、チョコレートの本場であるベルギーに修行へ |
2016年5月 | フランス語教室に習い始め、デボラマリノと出会う |
2016年8月 | ベルギーやフランスの様々な文化に触れ、北海道の可能性に気づく |
2017年1月 | RAMS CHOCOLATE(ラムズ チョコレート)立ち上げ |
2017年1月 | RAMS CHOCOLATE「旭川ボンボンショコラ(4種類)」販売開始 |
2018年12月 | RAMS CHOCOLATE「旭川ボンボンショコラ(8種類)/タブレットチョコ(8種類)/サクサク(4種類)」販売開始 |
2019年6月 | 自分たちの活動を「RAMS PROJECT」と命名し、始動 |
職人としてトップになることを決意したあの日
2010年~2014年
横浜の大学卒業後、都内のIT企業にて就職。営業として数々の賞を獲得。順風満々の東京ライフを送っていた。
ある日、大好きだったじいちゃんが亡くなった。
葬儀の日、じいちゃんの言葉「いつか一緒に仕事をしような」という言葉を思い出し、全く未経験ながらお菓子職人の道を目指すことを決意。
当時の仕事を辞めた後、やるからにはトップを目指すべく、短期間で上達ができる精神と時の部屋を探していた。
そこで、数々のお菓子のルーツがあり、チョコレートの本場である、ベルギーでの3年修行を決行する。
ベルギーでの挫折、そこに降りたフランス人の天使
2014年~2017年
じいちゃんへの想いを胸にベルギーに渡った。
ありとあらゆるコネを使って、ベルギーで成功した日本人パティシエの元での2年間の仕事が決まった。
そこでは、現地のスタッフに加え、日本のトップのお菓子屋で10年以上修行を積んできた強者達が修行生活を送っていた。
経験豊富な諸先輩方の中、未経験の僕は仕事についていけるわけもなく、厳しく指導していただく日々が続いた。
仕事は覚えられない。友達もいない。一歩外にでれば言葉も通じない。逃げる場所がない。自分の力のなさに嫌気がさし、うつのような精神状態での生活が1年以上も続いた。
いつの日か毎晩、契約を終え帰国できる日を指折り数えるようになっていた。
師匠や先輩方からの愛の鞭があったからこそ、今の僕がある。厳しい環境だったからこそ、未経験の僕が最短でスキルアップすることができた。
しかし、へなちょこの当時の僕は、できない自分に自己嫌悪の毎日で、本当に辛い期間だった。
2年目、多少仕事が慣れ始めた頃、週に1回のフランス語のレッスンを始めるようになった。
先生はベルギー人で日本語がペラペラだった。
週に1回友達に会えるかのように、レッスンを楽しみにし、先生に会っては日本語を話す時間が長くなってしまった。
ある日、先生が日本語を禁止にするために、日本語をしゃべることができないフランス人の女の子を連れてきた。
その子を見て、僕は天使が舞い降りたと思った。
その日から彼女とフランス語レッスンをすることをモチベーションに日々生き抜いた。
一瞬で一目惚れした自分はこの子と付き合えるならなんだって我慢できる。そう思えた。
何度かデートを重ねて、片言のフランス語と英語でコミュニケーションを取り、僕らは付き合い始めた。
彼女が今の妻であり、RAMSのデザイナーのマリノ・デボラである。
彼女はベルギーで、歴史あるデザインスクールに通っていた。
あの有名な芸術家ゴッホも在学していた、スクールのグラフィックデザイン部門でトップの成績!
よく付き合えたものだ。
彼女のおかげで、休みの日を使い、ベルギーやフランスの文化に触れることができた。お菓子屋、レストラン、ショッピングモール、バー…。
そこで気づいたことがある。
日本の食・素材がとても注目されているということ。「和食」「鮨」「ラーメン」「お好み焼き」「おにぎり」「餡子」「抹茶」「ゆず」「わさび」「豆腐」…などなど。
実際に、パリで開催される、チョコレートの世界のワールドカップ「サロンドショコラ」においても、受賞作品には日本の素材が多く使われていた。フランスのショコラティエがわざわざ沖縄にシークワーサーを収穫にきているという話もある。
ということは、ヨーロッパにおいても、国内での素材の都「北海道」は絶対的な強みになるのではという気づきを得ることが出来た。
帰国後、RAMSを立ち上げる
2017年
デボラのおかげもあり、なんとか3年の修行生活を終え、日本に帰国した。
デボラという最高のお土産を連れて。
まずは、家業のやり方をじっくり時間をかけて勉強していこうと思っていたが、そんな想いは一瞬で消え、会社に急激な危機感を感じた。
ふと競合をみると、他メーカーは新商品、新ブランドを立ち上げ、都内、そして世界へのブランドを広げていた。コンビニスイーツは、安いだけでなく、トップシェフや有名菓子ブランドとのコラボでクオリティーも急激に高くなっていた。
「このままじゃまずい」「今すぐに何か始めないと!」
そんな時にヨーロッパでの気づきを思い出した。
北海道の素材は絶対的な武器になる。しかし、北海道にいると、その良さには中々気づくことができない。
僕が学んできたことで、会社にないもの。北海道の素材を使って、世界にチャレンジできるもの。チョコレート!!
帰国後、12か月後にチョコレートブランド「RAMS」を立ち上げた。
RAMSのメイン商品であるボンボンショコラは、江丹別のブルーチーズ、男山酒造の復古酒、山路養蜂園のはちみつ…など、北海道の素材をふんだんに使った、世界無二の商品である。
RAMSの由来は僕のあだ名から。中学時代からラムと呼ばれていたので、「ラムのチョコレート」という意味でラムズ。
勿論、ロゴやパッケージデザインは、僕のことを一番理解しているデボラが手掛けた。
創業100年に向けて
RAMSは順調なスタートすることができ、ショッピングストア、書店、空港からも出店オファーの依頼が来ている。
現在は素材のコラボ先を旭川に限定しているが、今後は北海道全域に広げ、より魅力的で個性的な商品を発売予定。
すでに、厚真町のハスカップ、オホーツクの塩など、道内にしかない素材を試作中。
また、今夏フランスでの試食会も実施予定。
壺屋総本店が100年を迎えるにあたって、北海道の素材を使ったチョコレートで世界一の称号「サロンドショコラ金賞」獲得を夢に日々邁進中!